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シザーケース、フローリストケースなどプロ用の製品を提案する『sacra:サクラ』。web担当者の苦悩は今日も続く・・・
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学びと教え
先日、とある大学教授の講演を聴いた。

賛否はあるが、個人的に彼の話は非常に新鮮で面白いので、一度、ライブを体験したいと思っていた。

いくつか面白い小ネタをまとめていたが、一貫して言っている、

”「社会の構造から発生する様々な問題」を国民は理解せず、危機感を持っていない。”

そこが、なんとも面白い。

ワタシは何かと知りたがりぃで、いい匂いがするとすぐに飛びついてしまう。
(我が家のワンコはワタシに似ました。)

最近〜といっても、ここ4年くらいだが、継続して『教育』について自分なりに考えてきた。

そんなときにまるで天啓とでもいうか、新しい見方、新しい価値観を得ることが出来た。

彼の話はそれくらいのパワーをもっていた。

ここ数ヶ月頭を巡る、

・学力低下
・拝金主義
・国内需要

の3つは、これからの自分の生き方に大きく影響を与えるポイントとなっている。

一つ目の『学力低下』。

お子さんがみえる方は大なり小なり子供の将来や環境のことを考えるだろう。
ここで言うところの『学力低下』が意味するのは、単純に学校で受けた試験結果の点数が低いということではない。
『学び』の本質が非常に薄れ、何のために勉強するのかが問われないまま、目的も、目標も、質も、その実情を知るほどに愕然とする。
だから親が何とかしなさい〜とか、現場の先生が悪い〜なんて、パテ埋めするような対処では根治するわけがないことは誰でも分かるだろう。
でも、何も変わらない。

友人に「そんなに変わるものなのか?」と質問された。

変わるに決まっている。
社会人一年生で初めて多数の子供と向き合って、良い点数を取ることだけに必死になってきた先生が何を教えられる?それは表面だけしか見ていないと言われても、そう言っている人間の底が知れたものである。
もちろん情熱を持ってがんばる尊敬すべき先生はいます。
でも、少し考えたらわかること。
先生は何も点数を取るためだけに生きてきたわけではなく、そのように作られた社会で活きるために努めてきただけのことなのだから。
そして、親として子供と過ごしてきた数年は平坦な道のりだったか。
子供は、親や出会った大人達から社会を学ぶのである。
そのときに出会ったものが『全て』なのだから。。。

残念ながら幼児教育の場から感じたことだが、先生を教育する人間がいないことほど恐ろしいものは無い。

そして、平和すぎるほど危機感を持たない親達が、自分の利益だけを要求して他者を排する姿勢を子供に見せながら『多くの経験値』から遠ざけている。

そこで育った人間達が作る社会で生きる為に必要なものとは何かを益々考えさせられる。

出来ることは、子に付かず、目を離さず、可能性を摘まないことだろうか。


明日は、子供と夢の話でもしよう。








フローリストケースのsacra
進むべき道
昨日はアメリカ大統領の就任式。
自分の人生に向き合っている人なら、良くも悪くもあのスピーチから『何か』を感じたと思います。
関係ない人たちからすれば、ドラマ『24』でも見ているようなものでしょう。
あれだけ自国に対する意識の高いアメリカ人の中でも「ワレカンセズ」的な人にとって見れば4年に1度のただの祝祭日なのでしょうか。
どちらにしても、あの寒さの中でジッとしていることはワタシには難しいと思います。

もう正月気分は抜けただろうか。
新聞は、「場」を冷静に見るように、全く先の方向性のつかめない市場経済を元旦から淡々と語っています。

自分たちの肌で感じる不景気は、3月以降、今以上に厳しくなるらしい。

働きたくても働けない人たちが〜なんて話そのものの質が変わってきたと思う。
「ワークシェアリング」なんて言葉を耳にする機会が増えてきたが、その言葉の本質も知らずに上手く言いくるめられている人たちがたくさんいるのだろう。
そもそも国民性、生活様式からして違う文化圏で生まれた制度をいきなり日本へはめようとしても無理でしょう。可能なのは「物」くらい。

働けないのか、働かないのか、国のせいにするか、自分のせいにするか、視点の置き所で大きく差が出るところだがひとまずそれはおいておいて、まずは人生について考えよう。

これは、不景気の枠から外れた人たちにとっても重要なことです。

自分の人生をどう生きるか。

少なからず、生きる環境への不安に直面した人達は何かしらの考えを起こしているはず。

そこで問題。
「あなた一人だけで過ごす、大型連休があります。何をして過ごしますか?」

即答できますか?

休みがあっても、何もすることがないからつまんない。休みなんてなくていい。。そんな話を聞くたびに、いつも疑問に思います。

自分の人生は自分のもの。
主役は、腹立たしい親ではなく、ムカつく上司でもなく、大切な友達でもなく、愛する子でもなく、今ある自分です。

自分で自分のことを決めず、なぜ人に委ね人のせいにするのか。

国を作るのはその国に住む人達です。

当たり前のように、当たり前のことをオバマさんは言ってました。

学校は休みを減らすようなことを言ったり、秋の大型連休を増やしてみたり、ワケの分かんないことばかり繰り返していますが、そんなことより正月三箇日くらい日本の機能の全てをストップさせたほうが、よっぽど人の為にも国の為にも世界の為にもマシなんじゃないかって思いますわ。

2009年は手帳を見る限り16日も祝日による休日があります。
お盆休みや正月休みを足せば年間の3分の1はお休みの人が多いでしょう。
工場停止で週休3日の人達の年間休日は何日になるのでしょう。

収入に直結することは苦しいことですが、不景気になっていいことは時間が取れて自分と向き合えることでしょうか。

自分の人生と国のあり方を考えることは、非常に近い距離にあると思います。

この2009年、今まで味わったことのない不景気が約束されているようですが、どんなお話を作っていきましょう。

1月5日の初出社で神宮に行きました。
ことしも素晴らしいスタートダッシュです。
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フローリストケースのsacra
I'll be on my way.
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ビルとビルの間の青い空間に、大きな雲がスピードをつけて流れていく。

昨夜の雨のおかげで、今日はいい天気。

仕事納めとしては申し分ない気持ちの良い天気だ。

午前中に事務仕事を終え、昼食後は掃除。

1年の煤を払う〜とまでは行かないが、使ったものは片付けよう。

角に積もったホコリはきれいにしよう。

掃除は、やり終えた後の達成感を味わうにはとてもいい距離感にある仕事だ。

そんなことを考えてると、少しばかり気持ちも上向く。

今年は本当にいろいろあった。。。と、毎年書いている。

起きた出来事は、その歳の背丈に合った事しか起きないことを知った一年。

少しは成長しただろうか。

熟考する技術を得る代わりに、敏感な感覚を少し失った気がする。

捉え方によっては、細かいことを気にしなくなった・・・とでも言えば格好がつくだろう。

「欲」の質が変わってきた。

「やりたい」気持ちを捨ててはいけないと思った。

そして、やはり、自分は自分らしくあるのが一番だと思った。

真っ直ぐに生きるには、少しガッツがいると思う。
でも、歩いた分しか、足跡は残らない。



真っ直ぐに走っていると、まるで空へ向かうようで、吸い込まれそうな感覚になる。

ステレオから、クラプトンのLonely Strangerが流れてきた。

空は蒼い。








皆さんお世話になりました。
笑顔ある人生を送ってください!!
それでは、良いお年を!!



フローリストケースのsacra
験を担ぐ
KINNUNN

「さびしさに 何とはなくて 来て見れば うれし桜の 花ざかりかな」

これは、今年の三箇日にひいたおみくじの頭に書かれた短歌。

四十一番 大吉

3年連続。。。


「おみくじ」の意味がわからん。とか、
「おみくじ」をひくヤツの気持ちが分からん。とか、
「おみくじ」を完全否定する人がいます。

以前のワタシも、新年早々に吉凶を占うことに、非常にアレルギーがありました。

そんなもんに一喜一憂してどうする?
未来は自分で作るものだぞ。
だいたい、「みくじ」はこのおかしな儲け優先主義、拝金主義的な社会において優遇されている、寺社にとって税金の掛からないありがたい収入源!なのではないか??
参拝を否定はしないし、線香や蝋燭を灯すのも分かるが、そんなイベント性要素の高い第三次産業的なものに浪費してどうする?ありがたがるなら、札の一枚でも買ったらどうだ?
どうせなら、地元の寺や神社にでも賽銭を投げたほうがいいんじゃないか?あ?

めんどくさいヤツです。
そんな感じでした。
そんなことにこだわっている自分がつまんないことに気づきもしませんでした。

もともと神社仏閣を巡るのは好きなほう。
でも、遊びに来てるような人たちと一緒にされるのがどうも嫌だったのかもしれません。

人は変わるものです。

水面はひとつとして同じ表情を見せないように、
風の匂いや温かさは季節によって移り変わるように、
人の心も常に変わり行くのです。

「今日の悩みは、永遠には続かない。」

大切なのは『在り方』なんですね。


いつからか、クリスマスを祝うように詣でることはなくなりました。
手を合わせ、自分と向き合う時間がとても大切なことなのだと知りました。

他の人は関係ない。
自分はどういう気持ちで参りにきたのか。
日本人としての姿勢を忘れていないか。

気がつくと、自分流の参拝の仕方が身につきました。

今では最後におみくじをひくことは欠かせません。
これも、大切なことだと知りましたから。

そういえば、おみくじの中の割合を公表しているサイトがありましたが、その内「末吉」は全体の5〜6%だそう。

これは、大吉をひくよりも難しい確立ですね。

さてさて、次回は何に巡り合えるやら。。。



ふと、寂しくなって、ちょいと来てみたら、その桜の美しさに心が華やぐ。
なんとも日本人らしい趣のあるひとときですよね。

今では「ゲンはかつげ」が信条です。





フローリストケースのsacra
お日様のちから
1119


いつもとさほど変わらない時間に、いつもと同じ道を走りながらオフィスへ向かう。

交通量のおおい国道は窓を開けて走るわけにも行かず、年中エアコンのお世話になるとは、もともとエアコン嫌いのワタシからは、到底予想できなかったこと。

車内に入り込む日差しの傾きが、およそ季節感を感じさせるくらい。

あっという間に12月である。

去年までのスピード感とはあきらかに違うあの過ぎた日々は何だったのか。。。

確実に3割り増しのスピードで過ぎていった。

周囲の人は口を揃えて言われるが、年齢からくるものとはとても思えない。

だが、悲観ばかりもしていられないし、過ぎることで嬉しいこともある。


つい先日、こんな嬉しいことを再確認できた。

「幸せな人生とは、何気ない日常の中に楽しさを見つけることのできる心のありかた」である。

と、心理セラピストが言っていた。

自分にとっては、ごくごく当たり前のことである。

でも、パワー不足で、心が弱ってくると、その当たり前のことがぼやけてしまう。

以前は、時間をたっぷりとることで解消していたことを思い出した。


『陽の気』は大いなる力の塊で、浴びるだけでチャージできる素晴らしい力の源。

万物生成の根本となる二気のひとつであるだけに、活動しようとする気力のもととなる。

そのお日様に照らされた銀杏の並木は、澄んだ朝の空気の中で一段と目を惹く。

気持ちのよい一日の始まりとしては、申し分のない『何気さ』だ。

ただ、さんさんと注ぐお日様パワーにあおられた眠気との戦いが、平和主義者のワタシの悩みだ。



お天気の日は、空に向かって背伸びをしよう。
体と心のストレッチ。
ついでに骨も丈夫になるから。







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